「サイエンス・サーガU」(10/19)
T U( )


壱、
「彼です!」
 若い門兵が学者風の眼鏡男を指して言った!
「初めまして!私!ラカヌール市内で研究所を開いておりますドエット・マサディヌールと申します!」
 男は社交的に挨拶をした!
「私が今回の責任者のポチョムキンだ!どの課題をしたのだ!?」
「はい!私は一つ目の永久機関を献上したく馳せ参じたのであります!」
「そうか!早速だが見せてもらおうか!」
「はあ…!それが!お手数をかけるのですが!私一人では重過ぎて運ぶことが出来ないのです!何卒!我がラボまでご足労願います!」
 男は深々と頭を下げた!
「ああ!そういうことか!おい!!馬と車を用意しろ!!」
 ポチョムキンは後ろについて来た部下に命じた!
 間もなく2台の馬車が門の前に連れてこられた!
「マサディヌールよ!この馬車で足りるか!?」
 ポチョムキンは荷台を引いた馬車を見せた!
「ええ!十分でございます!」
 そして総勢十数人が!馬車を引き連れてドエット・ラボに向った!
「着きましたよ!」
 ラカヌール市内を流れる河の近くの小さな一軒屋にさしかかった時!馬丁が叫んだ!
 ドエットは一番に馬車を降りて!一行を招き入れる!
「ささ!こちらです!」
 ラボは地下にあるらしく!一行は狭い階段を下りていく!
「狭いので全員は入れませんね!」
 ドエットが言うとおり!地下室のラボはかなり混雑していて!5人入るのがやっとだった!
「こいつです!」
 作業台のようなテーブルの上に置かれた!鉄製の箱を指してドエットは言った!
「ほう…!で!どのように動くのだ!」
 ポチョムキンはボタンやレバーのついた箱を興味深げに眺めた!
「これは動力源にございまして!この端子より出力して接続された機械を動かすのです!」
 ドエットは箱前面の下のほうにつけられた!ボタンのような出っ張りを指す!
「ということは!どんな機械にもつなぐことが出来るのか!?すばらしい!」
 ポチョムキンは口にした言葉ほど!感心しているようには見えない!
「どんなと言いますと少し語弊があります!何せ生み出すエネルギーには多少制限が御座いまして…!」
「どういうことだ!?」
「それをお聞かせする前に!このエネルギー供給システムの作動原理をお話しましょう!」
 ドエットが眼鏡越しに上目遣いでポチョムキンを窺った!
 ポチョムキンは横に並ぶガディフール衛兵長と顔を見合わせる!というのも!この一月間において!『動作原理の説明』にはどの科学者も熱弁を振るったのだが!どれも今一つ二人を理解させるには至っていなかったのだ!
「結論だけ手短に言うことは出来ないのか!?」
 小さく溜息をついて!ポチョムキンは尋ねる!
「いえ!結論だけでこれを理解するのは至難の業です!皆様にもご理解いただけるよう!じっくりとお話し致します!」
「全く!研究者というのはなぜこう!答を出し惜しみしたがるのですかな!?」
 ガディフールがポチョムキンに小さく漏らす!いささか怒気を含んだ耳打ちだ!
「全く困ったものです!」
 ポチョムキンも小さく毒づく!
 マサディヌール博士は咳払いをして胸を張り!嬉々とした表情で声高に語り始めた!
「我々は今様々なもの包まれて生きているのです!周りに立つ人や家のみならず!呼吸をすれば体内に空気が入り!大気が揺らげば風がそよぐ!昼になれば暖かく!夜がくれば寒くなる!こんなことは意識しないでしょうが!我々は今!そのようなたくさんの現象に囲まれ!その中で生活しているのです!そして!その意識をもっと広域に広げ!大いなる場に思いを馳せれば!更なる領域が見えてくるのです!!
 我々はたくさんのものに囲まれていると言えるが!それらの『もの』が存在するにはそのための場所が必要だ!何のことかわかるかな!?そう!空間だ!我々をはじめあらゆる『もの』は空間の中に存在し!空間の中にある様に配置されている!そして我々が注目すべきはそこ以外の何もない場所である!そこをを真空と言い!まさしく何もないように振舞う空間のことだ!」
 ドエットは益々興奮して上気し、口調も変わってきた!
「しかし真空は全く何もなく!何も起こらない場所ではない!我々には何もないように見えるが実際のところ!真空と言うのは大変活発に動いているのだ!真空にもエネルギーの高低が存在し!揺らぎ!!蠢いている!!そのエネルギーの差こそ!私の狙い定めた凡なる現象なのだよ!」
 ドエットはハァハァと肩で息をつく!彼の額には溜々と血管が浮かび上がっている!
「こやつの言っておることは何となくわかるが!態度がでかくなっておるし!なぜこうも狂気じみた面持ちで喋るのかね!?」
 ガディフールは横に立つポチョムキンにだけ聞こえるような!小さな声で喋った!
「おそらく自分の言葉に陶酔しているのでしょう!脳内でモルヒネやオピオイドペプチドが発生してドーパミン抑制ニューロンを刺激したんですよ!」
 ポチョムキンは頭を傾けてガディフールに説明する!
「お前もわけわからんのぉ!」
 ガディフールは呆れ顔で漏らした!
 マサディヌール博士の即興講義はいよいよ本題に入る!
「長くなりそうだ…!」
 一番前の二人のみならず!後方に控える兵士達にも!疲れと呆れの表情が窺える!
「さあ!それでは!この最も広く!最も身近でありながら!万里の隔たりをもつこの現象について説明しよう!」
 マサディヌール講師は!近くに設置された古ぼけた黒板を叩いた!
「先ず第一に!ものを考えるに『場』という考え方を取り入れよう!これがないと私の理論は一歩たりとも進みはしない!諸君!努めて熟知したまえ!
 『場』とは!ある時刻ある地点・地域で起こった現象が!空間を広がっていくことだと考えるが良い!これは水面を広がる波紋のように周囲に伝播していくものだ!近接作用の観点から微小空間は隣り合う微小空間に順々に作用していくのである!粘性の強い油のような液体で作られた渦を上から見て!水流の速さが中心に近いほどつられて速くなるように!ある一点の微小空間が常に隣の微小空間に影響を及ぼしている状態!と考えても良いだろう!これは現象に限ったことではなく!物質がそこに存在しているだけ状態でも!このように考えられるのだ!具体的にその在り様を述べると!中心が濃くて周りに行くほど薄くなるような!そんな染みのようなものを想像したまえ!それが粒子の量子的ビジュアルだ!また心電図の波形のような波束を考えるのも悪くはない!
 この『場』の理論を考えるのに大変有用なのがバネである!スプリングだ!空間というものが!数多のバネで埋め尽くされていると考えよう!何らか現象が起こりその現象が空間を伝って『場』を形成するとき!この連バネの考えでそれを見ると!最初に一つのバネが振動しその振動が縦横のバネに伝わっていく様子であらわせる!わかりにくいということなかれ!このバネの考え方により!力を伝えるボソンという粒子のエネルギー状態がバネの振動エネルギーにより如実に鑑みれるのである!
 この考え方が『場』の理論!量子の世界への第一歩だ!」
 黒板にはいくつもの小さなバネが書かれ!振動を示す縦方向の矢印がそれぞれに添えられた!
「多少『場』と『量子論』について混同した説明であるが!理解するには十分であろう!私にはページ…もとい時間がないのだ!
 しかしなぜこのように新しく考え直す必要があるのか!?というと!従来のようにエネルギーが『運動する粒子』と考えていたのでは間に合わないからだ!いくら真空では粒子と反粒子が対生成と対消滅を繰り返して!エネルギーが不安定になっていると言ったところで!ものが粒子をである以上!込み入った議論はなく!マクロなスケールに留まるのだよ!
 そこでこの『量子力学』とりわけ『場の量子論』というものを取り入れて思案すると!何とそのミクロスケールの様子が手にとるようにありありと見れるのだよ!!」
 ドエットは近くにあった薬ビンを手にとると!中の液体を一気に呷った!
「ブハー!単刀直入に言おう!いや簡単に言えるものではないが!簡単のため電磁気力を伝えるボソン!光子についての場合を言おう!」
 液体を飲んだとたん!彼の頬はサッと紅潮した!
「このときの真空のエネルギーはhν/2だ!!hはプランク定数という大変小さい数で!ν(ニュー)というのはバネの振動数だ!このνはシュレーディンガー方程式を解くとわかるぞ!
 この結果は光のエネルギーの公式に依るもので!それでは光子1個のときhν3/2で!2個のときはhν5/2というようになる!そうすると光子ゼロ即ち真空のときはhν/2だろ!
 電子の場合でも同じようなもんだが!いろいろと定義の制約が関係してくるので面倒くさくなるのだよ!」
 ドエットは手に持ったビンを空にすると!更にもう一つの薬ビンを呷った!
「グヒャー!っと!ここまでがまぁ!一般的に考えられる理論の一部だ!こんな話はそこら辺の学者連中にやらせりゃもっと上手くする!だが俺は学者じゃなく研究者だ!!机上の空論に熱吹いて泡吹いている奴らとは一味も二味も違うんだ!
 そんな俺だから!これから話す実用的な理論とシステムを加えた実験譚・発明譚に重きを置くのはぁ!当然至極!皆の衆心して聞かれよ!」
 ドエットはそういうと2本目の薬ビンも飲み干した!彼の顔面は赤く輝いている!
 そんな彼に照らされているポチョムキン一行はというと!もうすでに我慢の限界を超えていた!
「いやぁ!あれは2週間くらい前だったね!俺の超過力加速器プントちゃん弐號がヒッグス粒子をはじき出したんだよねー!いくら叩いても出てこなかったヒッグスがさ!2千億eV超でぶっ叩かれたんだね!いや!これが見つからなかったら俺もさ!Bボソン…いやボソン自体の解釈を改めようとまで思いつめてたのよ!本っ当助かったよ!それ以前だってCP対象は破れて!グルーオンは色移りするし!もう調子いいのか悪いのか!ゲージ変換も鉄壁じゃねーし!てんやわんやで…」
 ドエットの表情は!いや顔自体は!益々輝きを増し!話を聞く一行の影は深深と濃くなるのであった!
「この男は一体何を言っておるのか!?およそ人の話す言葉とは思えん!!」
 先に嫌気がさして口を開いたのはガディフールであった!若い頃より兵労に就き王家に仕えてきた彼にとって!学問はほとんど縁のない代物である!彼にしてみればドエットの言っていることは可聴域外の雑音以外何ものでもない!
「どうやら何かに酔っているようですね!」
 例のようにポチョムキンがガディフールに耳打ちする!
「全く!つき合っとれんわい!ワシは帰るぞ!」
 ガディフールは踵を返した!
「同感です!」
 ポチョムキンのグラサンが鈍く光る!
「おい!!そこまでだマサディヌール!!」
 ドエットの愚痴を遮ってポチョムキンが叫んだ!
 ドエットは陶酔した表情のまま言葉を止めたが!室内の退廃し怒気の混じった雰囲気に気づくと!徐々に顔が醒めていった!
「ど!どういうことです!?」
 ドエットは泣きそうな顔でポチョムキンにしがみついた!
「お前の言いたいことはよーくわかった!そのカラクリはしかと王子に献上しておく!」
 その言葉を聞いてドエットの顔が急に輝いた!
「え!そ!それでは私は…!」
「ああ!お前は精神病牢行きだ!」
 ポチョムキンの冷たいグラサンがドエットを見下す!
 固まるドエット!
「おい!」
 ポチョムキンはひざまずく狂人を無視して!後ろの兵士に指示を出した!
 兵士達は狭い室内でも機敏な働きっぷりを見せて!ものの数分で機械と囚人を荷馬車に押し込めた!


「また…地下牢の人口が増えますな!」
 帰り!馬車に揺られながらガディフールがつぶやいた!
「増設を進言しているのですが!なかなか陛下のお目通りに適わず…!」
 隣に座るポチョムキンが!これまた一人言のようにつぶやいた!
「国中で最も人口密度が高いと揶揄されておるのに…!なんとか処置せんとなー!」
 夕焼けに照らされて!衛兵長が他人事のように言った!