「冬の花」(5/30)
これ新聞に投稿しようと思って書き始めた掌編。
何も起こらない話で、原稿用紙10枚を埋めるのは、僕にはできません。
太宰治みたく、ただただ心情を書き付けることもやろうと思ったけど、読みにくいからやめました。



「やはり冬の木が一番だな」
「そうですか…」
 季節は夏。木々は、青々とした若葉に溢れんばかりの生気を宿し、いよいよ隆盛を極めていた。
 二人は桜並木を散歩している。
 並木道に清涼感を感じるのは、葉が陽射しを遮るからだけではない。目が覚めるような緑が青空とのコントラストでその存在感を強めているからだ。
「夏の木は大変すがすがしい。抜けるような青空に、覚めるような若葉。君は好きか?」
 K氏は葉の影から空を見上げて言った。
「はい、なんか暑さも忘れるって感じがしますね」
「そうだな、若々しい感が強いな。やはり描くならこう、力強いのがいいかもしれない。よく描くのか?夏は?」
「はい、夏は木々をよく描きます。あと、海とか山とか。生き生きした感じを出すのによく粘ったりしますね、暑い中(笑)」
 二人は木陰で立ち止まり、話しこんでいった。
「そうか君、植物が好きだったな。花盛りはやっぱり花を描くのか?」
「春とか秋はそうですね。でも冬にも山茶花とか花はありますし」
「確かにあれは木で冬に花が咲くが、私の好きな木とは違うな。君は花以外に冬は描かないのか?」
「植物では木とか描きますけど、なんか淋しい感じがしますし、そんなに頻繁には描いてないですね」
「そうか、ここら辺は雪が降らないからな。冬の木々は閑散とするだろう」
「雪ですか、一度見てみたいですね。生まれてから一度も見たことないんですよ」
「そうか、雪国の冬は美しいぞ。ぜひ一度見せてやりたなあ。今度冬に、私の家に来ないか?いい絵が描けるかもしれないぞ」
「本当ですか。ぜひ行きます」
「ああ。家の近くの公園に大きなイチョウがあるんだが、雪が降った次の日あたりは氷樹になっていてな。その輝きや、おおきさは言葉にできないものがあるぞ。」
 どこからか飛んできた蝉が近くの木に止まり、鼓膜に張り付くような声で鳴き始めたので、二人は蝉にその場を譲った。
 木漏れ日に光る並木道を彼らは歩いていった。




 前日は雪が降ったそうだ。
 初めて雪を見たその日、私は焦っていた。K氏の一周忌法要に間に合えそうもなかったからだ。遅れるダイヤに、混乱する道。私の雪に対する第一印象はお世辞にもいいとは言えない。
 お世話になった氏の法事、一刻も早く参列したいと思い、タクシー乗り場の行列を横目に、私は歩いて行くことにした。
 歩道には雪が堆積し、車道には融雪の水がたまり、非常に歩き辛かった。革靴は濡れ、足は冷たく感覚がなくなっていった。雪上で革靴はよく滑り、私には転ばないように歩く以外余裕がなかった。
 私はなるべく大通りを避けて路地を通った。転ばないよう足元を見つめ、黙々と歩いていた。
 公園に向かう道に入ると、私はK氏の言葉を思い起こしていた。
 「ぜひ一度見せてやりたいなあ」
 「家の近くの公園に大きなイチョウがあるんだが、雪が降った次の日あたりは氷樹になっていてな。その輝きや、おおきさは言葉にできないものがあるぞ。」
  焦っていて気が付かなかったが、今日は絶好の雪景色日和じゃないか。彼はいつも家の近くの公園の木を愛でていたなあ。
 ふっと、顔を起こし、正面の公園に目をやった。そして目を盗られた。
 大きなイチョウの木が雪を纏っている。
 思わず息を呑む壮麗さだ。K氏の言っていた例のイチョウであろう。薄白い青空に浮かび出る純白の巨木は、それ一つで輝く盛花であった。
 その美しさに圧倒された私は、時間も忘れて見入ってしまった。
「ああ、これが雪の花か」
 感情とは裏腹に、口から無愛想な声が漏れた。
 申し訳ない話だが、私はそのとき法事のことを忘れてしまった。鞄からスケッチブックを取り出して、立ったままその場で写生を始めた。なんとしてもこの花を自分の手中に納めて持って帰りたいと思った。そして、寒い中黙々と描き続けた。
 私はこの絵にK氏から学んだことも乗せたかった。あの対話の日々は、私一人では得られないものを置いていってくれたようだ。