ドイツ観念論

フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ヨセフ・シェリング(1775〜1854)
 自然を統一的な全体と考えた.「自然は目に見える精神.精神は目に見えぬ自然」人間の精神はそこから生じると同時に,その自然自体が精神である.
 自然は意識へと高まっていく精神のあらゆる段階を持つ有機的組織.


ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリッヒ・ヘーゲル(1770〜1831)
 弁証法:一つの主張(定立)に対してそれと反対の主張(反定立)をおき,その両者を統合してより高い概念を得る.統合する働きを「止揚(アウフベーヘン;取り消す,上へ上げる,保存する)」という.まさに対立する概念が,その対立を取り消して,より高いところに引き上げられ,新しい概念として保存されるということ.(例;「鳥の卵がある」(定立).しかしその卵はまだ鳥にはなっていないので「卵は鳥ではない」(反定立).これらがアウフベーヘンされて,「卵がかえると鳥になる」となる)
 「矛盾はあらゆる運動と生命性の根元である」事物は常にその中に自分自身を否定する要素を持っている,矛盾に満ちたものである.矛盾と対立の中から統一を目指す動きが起こり,それが人間の思惟を発展させるものである.
 歴史は現実の諸矛盾が成長によって解決されていく時期においてのみつくられる.

ルードヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(1804〜1872)
 ヘーゲル左派.ヘーゲル批判.
 それまでの抽象的な哲学ではなくて,肉体を持っている現実的な人間が問題にされるような哲学でなくては
ならない.これは唯物主義と非合理主義を生んだ.

カール・マルクス(1818〜1883)
 唯物主義.人間を物質的な社会環境の中でだけとらえた.
 「人間の自己阻害」労働者とは,いつでも取りかえることの出来る商品のようになってしまい,人間の本質
を失った人々であると考える.
 現実的なものは労働と商品とお金によって決定された世界だけ.
 哲学は「実践的個人として,いわば世界に陰謀をめぐらすもの」として政治にむかう.

ゼーレン・キェルケゴール(デンマーク1813〜1855)
 非合理主義.何ものも代理をつとめることのできない「私」人間自身にむかう.
 「根本的なことは,私にとって真理であるような真理を発見し,私がそのために生き,かつ死ぬことの出来
るような理念を発見することである」.
 「人間とは精神である.精神とは何か?精神とは自己である.自己とは何か?自己とは自己自身に関係する
ところの関係である」自分自身に関わるという関係を離れては,人間の自己は何ものでもない.そしてこの自
己にかかわるとき,人間は神にかかわることができる.
 俗世の段階から,倫理的な段階,さらに宗教的段階に飛躍することで,欲望に惑わされなくなる.しかしこ
の段階に行くには,絶望という罪の深淵に立たねばならない.
 最大の罪は,神と本来的に関係のある自己自身に絶望すること.死んでも死にきれない「死に至る病」.
 そして飛躍するには恐怖が伴うが,全てをかけて神に従う決断して真の自己を選ぶことが「実存する」とい
うこと.