「ドルフ戦記(仮)」(6/20)
プロローグ 1



一、

 ハンスは、家の中ではパッとしない兄貴だが、外では結構評判が良かった。頭はいいし、仲間からの信頼も厚かった。いわゆるリーダータイプだ。戦争で活躍するなら、隊長や参謀、指揮官クラスで名を馳せることだろう。
「でもやっぱり徴兵されたら雑兵からなんだよね」
「まあな」
 ハンスは今年二十歳になる。農村では農期が一段落するこの時期、新たに若い兵士が駆り出されていく。戦争が膠着状態に入ってからこの国では、物資確保のため、徴兵される地域が季節ごとに変わっていく制度がとられている。
「無茶しないのよ。戦争はよくないことよ」
「うん、わかってる。今の戦況のままなら、来期には親父と一緒に戻ってこれる。心配しないで」
 カタリーナは息子を抱擁した。
「気をつけてね。ちゃんと帰ってくるのよ」
「うん行って来る。ヨハンもしっかりな。母さんを宜しく」
「うん」
 ヨハンは兄と別れを交わした。
 ハンスは同年代の友達と共に軍用車に乗って行ってしまった。
 彼らはカイネンブルクまで運ばれ、そこから鉄道を使ってそれぞれの配属地に回される。
「もっと見送っていてあげたいんだけど…」
 カタリーナがつぶやく。
 母はずっと先を見て、ひどく悲しそうだった。

 戦況が一変したのはそれから一週間もたたないうちだった。ルーベル軍がガルベラ地方に進駐し、州都のカイネンブルクが占領されたのである。グンバ山岳の麓、国境に位置するキャビネットはこれにより、カラバルト国内で陸の孤島と化した。
 ヨハン達は、戦地に赴く父兄達もさることながら、自分達の平穏までも危機に晒されようとしていた。
「キャビネットは戦略的な要所にないから、敵軍が進行してくることはないな」
 兄はそう言っていたが、ヨハンは不安だった。
 今キャビネットには収穫したばかりの食糧が大量にある。一方、遠征してきた敵軍に食糧問題が起こることは必然であり、その解決策として現地での調達というのは十分考えられることだ。
 大人たちも皆同じ気持ちだったに違いない。カイネンブルク占領のニュースがあってから、村の中にはひしひしと不安が広がっていた。

「先生達もよくやるよな。カイネンブルクから出て来れない先生もいるってのに、普通どおりだもんな。学校」
 学校帰りの昼下がり、ヨハンは隣を歩いているカーンに愚痴った。
「しょうがないさ。『戦争より教育が大事だと思っているヤツ』が教師なんだから、ここが戦場にでもならない限り学校は続く」
 カーンは同級生よりはみ出て大人びている。趣味も詩作と友達と相容れず、周りとは一線を画している。ただ、ヨハンとは大変仲がよく、家も同じ方向なので、いつも一緒に帰っている。
「でも結構休んでたやつもいたよな。オイカーとかロルフとかさ」
「俺も人が少ないのには驚いた。きっと親が止めたんだろうな、あいつらは学校から遠いし。7年があれじゃ、下のクラスはもっと少なかったかもしれない」
「畑のなかの連中は大変だからなー」
 ヨハンの家は学校から歩いて10分程の街中にある。キャビネットには学校が一つしかないため、家が麦畑の中にあるような遠方の子供は、毎日長い時間をかけて登下校したり、学校に行かず家庭で勉強を教わったりと、苦労している。
「ところでさ、今キャビネットってどこの国になるのかな?カイネンブルクが占領されちゃったから、ここはカラバルトとは繋がってないわけだろ?」
 ヨハンはカーンに尋ねた。
「さあ、わからないな。お前の兄貴なら知ってるんじゃないのか?」
 ヨハンは声のトーンを少し落とした。
「ハンスは今いないし、あの紙の中にもそんなことは書いてないと思う」
「そうか。そうだな」
 母子家庭で一人っ子のカーンに、ヨハンの気持ちはわからない。しかし彼にも思いやることはできる。
「そういや最近毎日フェル爺の所でトランペット吹いてるな、ヨハン」
 話題を変えるカーン。
「麦の仕事が終わったから。時間ができたんでやってるんだ。カーンはいいよなー、農家じゃないから重労働なくてさ」
「何言ってる、パン屋の朝は早いんだ。フェル爺のトランペットより早く起きて手伝いしてるんだぞ」
 彼の家はパン屋である。母アンネが一人で店を支え、カーンは手伝いとして、朝から厨房に出て仕込みをしているのである。
「そうか。そのうち俺が田園吹くようになるからさ、楽しみにしてろよ」
「俺はトランペットよりヴァイオリンとかの弦楽器の方が好きだけどな。旋律から抜きん出たあの存在感ある伸びがいい感じだ」
「フェルがヴァイオリン持ってるけど、弦楽器は湿気を嫌うから、今の時期朝には使えないな。」
「フェル爺ヴァイオリン持ってるのか?『ラッパ隊長』って言われるくらいだからトランペット一筋だと思ってたのに」
 フェルディナンド・ムラーはその昔、戦線楽器隊の隊長として、兵士の士気を煽っていた。そして今でも仲間内から「ラッパ隊長」と呼ばれ、酒場の老人達に活気を与えている。
「フェルは編曲が上手いんだ。トランペットに合わない曲でも、書き直してヴァイオリンで弾くこともあるよ」
「お前も弾くのか?」
「たまにね。まだ全然だけど」
「上手くなったら聴かせてくれ」
「いいけど、いつになるかな。あんまり練習しないからな、そっちは」
 ヨハンは歩く速さを少し緩めた。自分の家に近づいてきたからだ。
「そうか、聞くことがあったら詩をつけてやるよ」
 カーンもヨハンに合わせて歩幅を狭める。
「今日もこれから詩作に耽るのか?」
 ヨハンの言い方は小ばかにしている様だ。
「まあ、暇だったらな。じゃあな」
 カーンはあっさりとヨハンを抜き去っていく。少しも怒っている様子はない。むしろいつものことといった感じだ。
「ああ、バイバイ」
 ヨハンも特に気にせずカーンを送り、家に入る。