デカルト、スピノザ、ライプニッツ

ルネ・デカルト(フランス、1596〜1650)
 既成の概念を批判的に見た。感知するあらゆるものに疑いの目を向けたが、そのように知識を疑っている自己の存在だけは疑えなかった。「我思う、故に我あり」。
 無限で独立で全知全能な知性(神)を通してとらえたものが本当のものである。
 正しい意見はただ一つしかない。だからただ一人の人が論理的に統一した知識だけが本当の学問である。これを築くためには、次の四つの方法を使う。
 明証(明らかに真であるもの以外は、真として受け入れないこと。即断と偏見を避ける)・分析(問題としているものを、最適なまでにできるだけ細かく分けること)・総合(思索の順序に従って、簡単なものから複雑なものへ導くこと)・枚挙(何も見落としがなかったと確信できるほど見直しをすること)。これらの規則の模範として、理論の確実性と直証性のある数学があげられた。


パルフ・デ・スピノザ(オランダ、1632〜1677)
 本当に理性に従う人は、欲望やむなしさを克服して自分自身を支配する。
 普通の生活で起こる全てのことはむなしく無益である。それらのことすべて排除しても残るような永久に続く至高の幸福を得る道を考えた。
 「実体=神は因果的連結または過程、万物の基礎的条件、世界の法則および構造」。「実体」とはほかの何ものも必要としないで自分自身で存在するもの、唯一無限、神(世界全体)。世界の出来事はすべて、必然的に決められているものであるから、人間はそれらの運命を甘受するだけ。
 その、すべてがむなしく無益なこの世界で、唯一の永久に続く至高の幸福は、人間の精神もまた神(世界の全て)の一部であるということを理解することで得られる。「永遠の相の下で」世界を眺めるようにすれば、すべての原因である神を世界の中に意識することが出来る。


ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(ドイツ、1646〜1716)
 宇宙を構成する「実体」=モナド(単子:一つ一つが違う性質を持ち、それぞれ独自の世界を持つ精神的・霊的なもの)はそれぞれが独自に持っている内的な原理によって変化や運動をする。宇宙全体(=大宇宙:マクロコスモス)の中にいる人間(小宇宙:ミクロコスモス)が、多くの事を表現できるのと同じように、大宇宙を構成するモナド一つ一つは、それ自体に宇宙を映し出している。
 このように(人間の例)、一つのモナドが多くのことを表現する働きを「表象」と呼ぶ。そしてその表象の判明さの程度によってモナドは区別される。最低度のモナドは意識を持たず、高度な表象作用をするモナドになるにつれて、意識、記憶、反省を持つようになる。
 これらの段階の違うモナドが一緒になって宇宙を構成できるのは、予定調和(あらかじめ神によって、すべてが調和するように定められている考え)があるから。特に、神をまねることのできる人間の精神は、神との一種共同関係にはいることになる。
 このようにしてできている世界は最善であり、この世界にある悪や不完全なものさえ、世界が最善であるために必要なものとなる。