ソクラテツ・プラトン・アリストテレス

ソクラテツ(アテナイ、紀元前469〜399)
 人間の精神に向う哲学をうちたてた。無知の知(知らないことを自覚している人のほうが、自覚していない人よりは知恵がある)を得る。
 産婆術=ソクラテツは人々に人生の意味や目的について質問し、相手に自分の無知を自覚させた。相手は質問に答えていくうちに、自分の答の間違いに気づき、それらを訂正し、正しい考えにたどりつく。
 正義や勇気のもととなる徳について、人々に考えさせた。徳を持つために精神を出来るだけ優れたものにしなければならない。


プラトン(前429〜347頃)
 イデア論=イデアとは不変で絶対的で永遠なもの、つまり真理そのもの。そしてこの世にあるものは全てイデアの模像(影)であるとした。 例えば、人が美しいものを見たとしても、それはただそう見えるだけで本当に美しいものではなく、「それらのもととなる美しいもの(イデア)」の模像にすぎない。
 そして真理(イデア)そのものと深いつながりを持っているのは魂だけ。哲学者は真理を求めるのが努めであるから、節制や勇気などの徳に心をむけて、できるだけ正しくあるようにする。
 国家論=理想国家は「知恵」「勇気」「節制」の3つの徳をもち、哲学者が王となる王政。そこには徳に伴う3つの階級「知恵」=「統治者」、「勇気」=「兵士」、「節制」=「民衆」があり、これらが上手く揃ったときに正義が生まれる。
 ソクラテツの弟子。


アリストテレス(前384〜322)
 知識は経験に依る。
 プラトンの弟子だが、イデア論に反対。本当に存在するものは、我々の目の前に見る個々の具体的なもの以外ない。存在するものの原理を「資料」、「形相」、「運動」、「目的」に分け、まだ完成していないものを「可能的存在(デュナミス)」、完成したものを「現実態(エネルゲイヤ)」とか「完成態(エンテレケイヤ)」と呼んだ。わかりやすいように「机」を例にとってみると、机のもとになる木材が「資料」、机の働きをする形が「形相」、木材で机をつくることが「運動」、できあがった机が「目的」となる。りんごの種(可能的存在)がりんご(完成態)になるように、あらゆるものは「目的」に向おうとする動きがある。
 中庸の徳=人間は最初徳も悪徳も持つ力があるが、善い行いを何回も繰り返すという練習によって、徳だけを持つようになれる。最も望ましい徳は中庸を守ること。何事もやりすぎ、足りなさすぎという両極端は不完全なもの、その中間をいくのがよい。