2002.4.19(Fri.)
私は作家になります。宣言日、今日。





2002.5.16(Thu.)
・すいません僕の負けです。勝ち負けにこだわっていた時点で負けていました。
>何を言っているんですか?
 このまま議論を続けても、僕は負け犬になって、無様に吠えているだけです。ここで潔く負けを認めて、落ちます。
>それは口だけですよ。自ら負けを認めることで、負けた気を紛らわせているんでしょう。あなたは、ただ自分が負けるのが悔しくて、はがゆいから、逃げて。そんなみじめさを、少しでもなくしたいから、そんなことを言って行くんでしょう?
 その通りです。僕は逃げることを正当化させて、それで気を紛らしているんです。
>ほら、また。そう言って、相手より先に自分をおとしめてる。相手の口からそんな言葉が出るのが怖いんでしょう。だから自分を守るために、先手を打って、一人相撲する。もし相手にするどく突かれても、無関心なフリして相づちを打つ。ハタから見てるとバレバレなんだけど。
 …。
>小さい人。一生逃げてなさい。
・「あかね空」で直木賞をとった山本一力は、2億円の借金を返済する為に、勤め人から一転、作家になった。決断の日から毎日2000文字を日記に綴ることにした。そして晴れて文壇に登ったのである。
 一歩でも半歩でも日々成長しなければ、生きているか死んでいるかわからない。僕の稚拙な文でも、やらないよりは、やるべきだ。明日は今日になり、昨日は今日だった。一字でも書かない日があれば、その日は僕が、夢を捨てた日。





2002.7.6(Sat.)
・近頃、精神的に参る出来事があった。ネットでの中傷。以前から食事を抑えてたのが当たったのか、これで腹にきた。
 心の病が腹にくる、というのは本当だったらしい。そのことを少しでも考えると、すぐ胃が熱くなる。胃液が分泌されているのだろうか。わずかな満腹感はいつになっても止まなかった。
 情けないものである。たかが言葉に、しかも直接言われたわけでもないのに、この様である。「そんな事、俺は気にしない」「逆に出て行って驚かしてやろうかな」などと考えていたが現実は違ったのである。
 2・3日考えていたが、これは逆にチャンスだ、と思った。いつも傷つかないように生きている自分が、ここまで罵倒されることは多くない。これを縁に、一つ経験をつもう、と考えた。と言っても、ただ立ち直ればいいだけであるが。
 僕はそのことを誰にも告げず、そして何回も問題の文章を読み返した。そして悪口であれ、自分の欠点を指摘しているのだから、受け入れて、自分のプラスになるように考えるように自分に思い込ませた。
 やる気が出なさそうな気持ちだったので、生活習慣を整え、大学の勉強にも、少し力を入れるようにさせた。規律正しくなれば、気持ちも整うだろうと考えた。五月病の治し方に似ている。
 そうこうしているうちに「HPの更新は3日以内」という取り決めを破ったわけだが、HP更新に追われない日々を過ごすのはよかった。僕が性格的にイタい人間であることには変わりないし、人間として成長できたとも思えないが、たまには違った方面にも思考の足を伸ばしてみるものである。
 しかしここまでしても「浮世の沙汰には動じない」という甘い考えを捨てきれない…。





2002.8.16(Fri.)
・ここで少し、考え方を変えてみようかなと思う。功名心に早って宝を腐らせることもなかろう。何かというと、データベースのこと。知識欲の(つまるところ名誉欲の)優越に勝って、なにも考えなしという愚行を犯す気はない。独創性の衰退だけではない。データそのものも宝の持ち腐れである。しかも私の力量で、独自の収集・整理するには幾分、役立たずである。世にはそういう専門家が五万といるし、易しい書物も腐るほどある。アインシュタインも「頭を空っぽにして」「情報を集めるに図書館へ行け」と言っている。これからはやはりスキルだろうか。如何に早く、得たい情報を引き出せるか、それにかかってくる。この世の全てを頭に入れることはできないが、知るだけのことには、どれにも可能性が開けているのだから。
・読みやすい小説を書こうとすれば書こうとする程、己の語彙力のなさが知らされる。もっと小説を読まねば。良い言い回しなどがあれば、自分で移し書いてみるくらいのことはしなければ。





2002.10.11(Fri.)
・「あなたは○○な人です」「私は△△です」果たしてそんなふうに言い切れるものだろうか。僕はそうは思わない。少なくとも僕は、現存するどの言葉にも自分が完璧に合致している言葉はないと思う。性格は流動的で、与えられた言葉からすぐにはみ出してしまう。矛盾点もたいへん多い。自分は合理していても絶対的な理論の上ではない、なんとなくだ。自分が特別だと思っても、そんなはずはない。そうなればみんな特別になってしまう。
 そもそも、地球上には60億の人がいて、日本だけでも1億2千万もいる。日本語の中に、性格・人格を表す表現が100種あるとして、日本人の誰もがその中の言葉で一言で表されるとしよう。すると同じ性格とされる人が単純計算で120万人もいるのである。表現が1000種でも12万人だ。そんな大多数が一つの言葉で表せるとはおかしな話である。例えば「ナマクラ」をとっても、「細かいことは嫌いだけど、大雑把なことは率先する」人や、「そうじは好きだけど炊事は嫌い」と、ある1点だけを見て「ナマクラ」とは言えないものがある。それでもその人達は「ナマクラ」というレッテルを貼られる。
 このことを打開するためにはどうしたらよいか。その人に当てはまる言葉を次々と編みだしていって国語辞典をブ厚くする、というのは億劫なことだ。ここはやはり使っている我々の意識を変えるのが、平易で安上がりだ。
 だから「この人はこんな人」と決めつけるのはなるべく避けたいと思う。第一印象が全くの虚妄と思えるくらいに。
 かと言って人に僕の性格が正しく伝わるよう、オープンになろうとは思っていない。あくまでベースは秘密主義。
 秘密主義の練なるものは、秘密を秘密と悟られないで公開すること。
 ブラフを多用するってことかな。でも嘘をつくのは嫌だな。そんなときは嘘を嘘としないような性格、心情、思考回路を持てばいい。