2001.1.1(Mon.)
・21世紀になった。これといって変わったことはない。残念。
 まあ、それも当然だろう。人間が決めた区切りのことで、人間しかわからないんだから。時間にしてみれば、ただ変わることなく流れつづければいいだけだ。
 別に人間が決めたことを神聖化して大騒ぎすることを悪いことだとは思はない。しかしテレビを見ていたけど、あれは熱狂しすぎ(はしゃぎすぎ)だと思う。21世紀だからといって特別なことが起こるわけでも、起こすわけでもないだろう。
 2000年がそうだったように。
・さて新年といえば抱負だが、それは明日にまわすこととして、世紀のはじめといえば、未来予想が通例だろう。19−20世紀のときにも行われていた。
 21世紀には鉄腕アトムが生まれることになっているが、これは無理だろう。原子力で動くロボットなんて危なっかしくて放っておけない。
 しかし22世紀のドラえもんはいけるかもしれない。四次元ポケットの中身は置いておいて。2世紀の期間があるのだから、あれくらいはできるだろう。(しかし四次元ポケットのないドラえもんなんて、ただの遊び相手になるくらいだろう。)ロボットはこのくらいにして。
 情報通信は、今よりは発達するだろうが長くないうちにブームは収束してしまうだろう。そして次に目を向けられるのが宇宙。宇宙開発も進むだろうが今世紀中では、宇宙に一般の人がすめるようになるのは難しいかもしれない。そして更に人々の目のゆく所は、結局、自分達人間だろう。医学、生物学は科学技術の発展に伴い、追い越して発展すると思う。
 地球規模の問題については、あまり進展しないだろう。おそらく今と変わらない状況がダラダラ続く。早急に解決が必要な問題はエネルギー問題だろう。オゾン層破壊は、一番ヤバくなるだろうが、それ以上は進まないはず。
 さて具体的には、どんなものが100年後にあるだろうか。
 すむのは辛いかもしれないが、宇宙旅行ぐらいは出来るようになるだろう。
 情報通信も各家庭に光ケーブルはくるだろう。それから電柱がなくなる。
 地下には、上下水道のほか、電気通信系の配線が巡る。また、地下鉄のほかに、自動車道(おそらくこれぐらいには排気ガスは出てないだろうから)、下手すると飛行機も走るかも。
 逆に空は今よりは交通の便は少なくなるだろう。(一時は今よりも多くなるだろうが。)
 それから日本は憲法が変わるだろう。
 あとは…いや、今とあまり変わらないだろうな、社会も生活も。20世紀はよく発展したけれども21世紀はあまり進歩しないだろう。





2001.4.5
・僕はマルチ人間になりたいのかもしれない。何でも出来るのではなくて、なんでも知ってる。そんな人間にあこがれるのかもしれない。何も出来ないから、その知識と知恵で周りに影響する。それがいい。
 僕が特に興味をひく人物(一般に言う尊敬できる人だろうか)に、平賀源内と、レオナルド・ダ・ヴィンチがいる。二人ともたくさんのジャンルで活躍した人だ。(ほかにもたくさんの人から感銘を受けるが、今の希望にかなう人はその人たちだけだ。)
 これは長い年月を経て、間違いなく変わる理想であるが、今の自分にはまだこれぐらいの願望を持つ余裕がある。
・自分が一生覚えていることを、わざわざ自分の日記中に書こうとは思はない。福井大学の入学だって、そんな騒ぎたてて書くほどのものではない。僕はほとんど勉強しなかったのだから。親に隠れてパソコンを持ち出しゲームをしていたくらいだ。今年に入ってからの総合勉強時間は24時間に満たないだろう。昨年1年間でも2日いくかどうかだ。
 なぜこんなに字が荒れているかというと、昨日はじめてボーリングに行って、(2ゲーム)腕がひどく脱力しているためだ。
 初めてやって106はすごかったらしい。
 っと、このような些細なことを書いたり、心の内を書くのが日記だろう。





2001.5.15(Tue.)
・月日が経つのはなんと早いことだろう。光陰矢の如しとはよく言ったもの。
 (↑前にもこのような出だしがあったか。)大学に入ってから一ヶ月。暇な時間が多いにもかかわらず―いや、多いからこそ、1日、1週間が早い。
・今日は火曜日、一時間90分しか授業がない。残りの22時間30分をどう使うか。今までどうりだと、きっと時間を弄ぶだろう。パソコンで暇をつぶしたり、空想に耽ったり、寝たり、本屋行ったり、と。どれも悪いことではないが、本当にやりたいことなのだろうか。
 僕は知りたい、書きたい、創りたい。これがおそらくしたいことだろう。
 具体的に言うと、本を読んだりして多くのことを知りたい。文章をたくさん書いて筆を磨きたい。そして、頭の中で想い描きたい。ということだ。
 趣味にするにはあまりにも覚束ない。いや、というか、それら(空想以外の2つ)をしようとするときの、小さな抵抗感は何だろうか。―おそらく行動以前の状態を崩したくない(めんどくさい)からだろう。そう考えたい。
 よくすることだか、自己催眠。非常に便利かもしれない。やり方はよくはからないが、「趣味」を増やす。僕にとっては勉強も趣味に入る。そういう意味では、僕の今日の自由時間は24時間になる。





2001.5.26(Sta.)
・どんなに崇高な考え方、思想を持っていようと、それを世に知らしめなければ意味がない―。これはあくまで僕が自分に期待する理想像の中で成り立っているわけだが、この考えは幼稚だろうか。確かに今自分が考えていることの70%でも言葉に出来る口を持っていたら、僕の歳を考えれば、人から一目置かれるだろう(人の考えていることなんて知れないから、この予想が覆されることもあるかもしれないが)。
 しかし内にしまっておくのはどうだろう。誰も気づかない深いところで、濃密な精神性を温め続けているのは。変化(発展など)を望むなら出した方がいいだろうし、(内向的だけど)人から注目されたいという類の性質を満たせるだろう。妙な理想(自分の思うカッコよさ)が邪魔しているのだろうか、それともただの小心者か。口を開くと途端に現実世界に戻ってしまう。この何とも言えない情けなさは何だろう。
・この日記の表題を「書壊」に決めた。





2001.6.28-1(Thu.)
・非常に有意義な体験をした。初めて挫折を味わった。というか初めて全力でやったことが通らなかった。もとはといえば、僕の不注意から生じたことだけど、表現技法に全力を投じたのに根元を折られた。もの凄く悔しかった。この3日間の自分がズタズタになるようだった(誇張表現である)。思わず唇が痙攣し、涙が出た。すごく悲しいような気がしたが、大変嬉しかった。今まで生きてきて全力を通せなかった事はなかった(全力を出した事も少ないけど)様な気がする。このままでは、挫折を知らないまま大人になってしまいそうで不安だったから、(些細なことだが)挫折を感じて、泣きながらも歓喜した。小さな感情をトランジスターの様にして増幅させ、悔しさによる悲しみを反芻させて、自己解析を楽しんだ。(その間幾度も涙をこらえた)
・きっかけを与えてくれたKさん(別に指摘してくれる人なら誰でもよかったのだが、結果上)に感謝。
・しかし、ゆっくり自己に浸って楽しもうと思い、家に帰ったのはまずかった。
 あの(自分が作った、Kさんの前での)緊張感の中でしか育まれなかったものを殺してしまった。いや残念。
・弁明するわけではないが、僕はY先生へのお礼状を挑戦状にするつもりだったのだろう。今の若い人に多い様に僕も、反常識を持って自分をアピールする(存在させる)タイプなのだ。如何に挑戦状をお礼状にするかが、僕の腕の見せ処だと思ったわけだ。もちろん、肯定はするが、良識ある人に指摘されるのを予見していながら書いたのは浅はかだった。
・明日は線形代数の中間テストだが、今晩は「お礼状」を全力で仕上げ、自己分析に浸ろう(心に沈もう)と思う。こんな時に、趣味などやっていられないから。