間違い
第1章 はじめに

それではフロイト先生お願いします。
フロイト:医師とは違うのだよ、医師とは(C.V.ランバラルの人)

 つまり精神分析療法はあらゆる方面からの非難中傷の的となる。マスターするのは無理っぽいから、聞きたくないやつは出て行ってよし。

コメント
もうやめよっかなー。こんなんじゃ説明無理っぽいし。


第2章 間違い

フロイト:身近に起きる「言い間違い」について研究しよう。
ダンッ!
聴講人:我々はねぇ、精神における高尚な現象の心理学的見地を聴きに来たのですYo!それがなんでそんな些細なことを取り上げるんです?誰のおかげで飯食ってけると思っているんですかよ。
フロイト:敢えて言おう。今の反論、諸君らの起こしてくれた変な・感は見当違いである。(じーく・じおん)
大切なものが諸君らの興味の中にあるということは、限ってない。

 唐突に「いい間違い」「書き間違い」など日常に起こるちょっとした「間違い」について検証を始めます。
 間違いは大抵、生理学的要素(疲労、放心、興奮)からきていると考えられます。しかし、こんなこと(間違いが引き起こされる条件)は精神分析と呼ぶに足らない見解です。
 フロイトは、本来しようと思っていた行為と関係させないで、「間違い」の作用(意味)を検証しました。
 「間違い」は全く正当な行為で、予期したか、意図した行為にとって代わった行為と言えます。つまり、「間違い」にはそれ自身に意味がある、というわけです。
有名で分かりやすい例を挙げると、
 衆議院の開院式で、議長は
「諸君、代議員の出席数を調べ、直ちに閉会します。」
 っといってしまった。
 これはこのとき議長が”今回の議会はわが党に不利。さっさと解散しちまいたい”と思っていたからだと言えます。

コメント
そしてその「間違い」を自在に操るのが作家だ。と言ってます。登場人物が口を滑らせて言ったことが、伏線だったり心理描写だったりすることのことです。なんだ意外と簡単じゃないか、使うだけなら(そんなことはない。


第3章 間違い(つづき)
「今や私たちは大した苦労もせず、間違いの謎を解決してしまった!」
 フロイトは叫んだ。そして聴講生諸氏は臨戦態勢に入った。
「疑心が起きた。何故か!」(ガルマ追悼)
 フロイトはグラスを手にした。
「坊やだからさ」

 間違いは偶然ではなくて、意味のある精神的行為であり、二つの異なった意向(思惑)が相互干渉して出来上がったものである。
 いい間違いに絞って説明すれば、二つの異なった意向はゆがめる側(本音)、ゆがめられる側(実際に言おうと思ったこと)に分けられる。それが全く入れ替わってでてくるわかりやすいケースもあれば、一方の意向(本音)が他方(言いたいこと)を変形させるか、多少の意味を含んだだけとして現れるケースもある。
 その二つを特定する方法が、まさに精神分析の花形である。いい間違いを起こした当人に「本当はなんと言うつもりだったのか」と尋ねてみる。すると、ゆがめられた意向(言いたかったこと)はすぐに見つかるだろう。しかし、ゆがめる意向(本音)はそう容易く当人から出てくることではない。ではどうすればよいか、多方面から探すのである。といってもいくつかのセオリーはある。(例えば人名の間違いは、故意の場合(森善朗=しんきろうとか)と同様、その人に対し軽蔑の念を抱いていると言えるし、名前の忘却ならその人を嫌っていると言える)その他、間接証拠(例えば借用書を直接証拠と言うのに対し、金に困っていたことを言う)に頼ることもある。
 また、意図の忘却は一般に、その意図を遂行させまいとする思惑に基づいている。物品の紛失は、実はあなたがそれを見つけたくないと思っているから!っという場合もある。

コメント
 失策行為はなにかの前兆であると、古代人は思ってたらしい。これは実は的を得ている。長い人生経験をお持ちの方は「人間同士の間での小さな間違いや失策を前兆と解釈し、影に潜む意向のしるしであると見ることが出来たなら、幾多の落胆や苦々しい不意打ちを避けられたのに」と思ったことがあるはず?