「追憶の魔女」(6/27)
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六、終畢

 バイルート宮殿での催しは晩餐会、ということであったが、実際のところ、そういった堅苦しい雰囲気はなく、むしろ立食パーティーのようなものであった。
 和やかな喧騒から一歩引いた柱の脇に、腰まである長い髪を銀色に飾った女性がいる。
 ネオン・カーボンは正直、こういった社交性を求められる場は好きではなかった。人間関係が極端に少ない世界に生きているためとも、単にめんどくさいだけとも考えられるが、何より、こういった場に出席するときは大抵仕事中だからである。
 彼女は今もスチュアット総大臣に注意を向けつつ、ガロンのパス(精霊)を探している。
  このホール内にはまだ来ていないか。
 ガロン・リッターは昨晩、死んでいたはずであった。しかし、全くネオンの気まぐれにより、生き延びている。
 昨日のガロンの軽率な行動も不可解であったが、その後のネオンの真意もまた、路地裏の闇に消えたのである。
 ネオンが注意を向けるさ中、スチュアット卿に近づく給仕が一人。これはガロンではない。見た目も彼より貧弱で背も低い。
 給仕は総大臣にグラスを一つ手渡した。
 ふと思い立ち、ネオンは柱から離れた。その時、
「貴女のような麗しい美女が、こんな所で壁の花だなんて。ぜひ、男のあしらい方についてお聞かせ頂きたい」
 声を掛けてきたのはまたしてもガロン。ネオンはスチュアット卿の身辺に気を取られて、彼の接近に気がつかなかった。
「しばらく席を外しますので、お話は後ほどゆっくりと…」
 ネオンは動じず、そう言ってガロンの脇を通り過ぎた。
「綺麗な髪だ。今日染めたのかい?」
 ガロンは靡く髪にひかれる様に後について来る。
「これは地毛よ」
 ネオンは振り返って答えた。
 ガロンが凍りつくのがわかる。彼は、彼女が魔女ネオン・カーボンだということに気づいていなかった様だ。
 ネオンは足を止めず、そのまま総大臣の元に向った。
「今晩は。スチュアット閣下。素敵なネクタイですわね」
 ネオンはマニュアル通りの科白で大臣に見えた。
「貴女こそ。素晴らしい髪をお持ちだ。髪飾りが光を失っておりますぞ。今宵は、ゆるりと羽を伸ばしていって下さい」
 総大臣のポストはこのような会において、ひどく忙しくなる。主催者である彼に来賓は皆言葉を交えるからだ。接客の時間は自ずと短くなる。話の流れからいって、大臣と面識を持たない彼女はこのまま下がるのが便宜である。
「総大臣。私、少し喉が渇いておりますの。何かお飲み物を頂きたいのですが」
 ネオンは下がらない。
「そうですか。私のでよければどうぞ。ジャガール産の湧出水です」
 総大臣は丁寧に応じ、左手のグラスを彼女に渡した。
「頂きます」
 ネオンは何気ない素振りで水を口にし、横目でガロンを見た。彼も何とはなしにこちらの様子を窺っていた。
 案の定、この天然水には毒が混じっていた。ネオンはすばやく解毒のジグ(珠術)を施し水を浄化した。
「ありがとう御座います。大変おいしかったわ。なんだか少し甘いみたい」
「そうでしょう。こちらの水はミネラルが豊富ですから。他にも大地の恵みをうけた美味しい食材を用意して御座いますので、ぜひ召し上がって下さい」
 大臣は平凡な辞令を並べて、グラスを受け取った。
「ええ、それでは失礼します」
 ネオンはスチュアット卿の前を去った。
 この時彼女は六日前彼に付けた鈴、パソーフのジグ(珠術)を解除した。これは即ち以後総大臣が安全であることを示し、つまりガロンが今後彼に危害を加えないことを意味していた。
 ネオンは再びガロンの元に歩み寄る。彼はいつものように、口の端を吊り上げた、少し困った様な笑みを浮かべている。
「お待たせしました」
 彼女の口調は崩れない。
「いや、驚いたな。まさかあの…、ねえ、がこんな美人だったとは」
 ガロンもいつもの調子を崩さない。
「化粧師が上手なだけですわ。それより、少し静かなところに移動しましょう。素敵なお声が聞こえ辛いわ」
 言わずもがな、二人は外のテラスを見た。
「―そう。そうするか」
 意を決したように言葉を搾り出すガロン。勝手に歩き出したネオンを追う。
 テラスには計ったように誰もいなかった。
「随分、潔いこと。まだ何か出来るのかしら」
 手すりを背に、ガロンを見据えるネオン。言葉にはこれまでの余韻が残っている。
「たくさん用意していたが、大方君に抑えられたよ」
 ガロンの作った仕掛けは事前に、パスを用いたネオンの前に潰された。
「探すのには苦労した」
「さっきのヤツは格別だったろう?口に入ると一瞬で毒素が粘膜から体内に吸収される。そうなると解毒はできないはずだ」
 ガロンの口元が緩む。
「それは今でも私の中を回っている」
「無茶をするのはそっちのほうだぜ。俺と刺し違える気かい?銀髪の魔女さん」
「毒を自分のモノにしてしまえば問題ない」
「ハハ。流石、魔女と呼ばれるだけある。だが、俺の手はそれだけじゃないぜ!」
 ガロンは言い終わらないうちに地面を蹴って、ネオンに襲い掛かる。
「私は手を使わない方」
 ネオンがそう言い放つと、ガロンの身体が大きく痙攣して、動かなくなった。
「くぅっ」
「手足は動きが遅いからだ」
 彼女はそう言って、自分の顔の間近まで伸ばされたガロンの腕を、静かに下ろした。その手には先日のペン型銃が握られている。
 明らかに今までと違う形相のガロン。焦りと恐怖が垣間見れる。
「そう怖い顔するな。いつもの調子のほうが見栄えいい」
 ネオンはそう言いながら彼の懐に入った。低姿勢で迫っていた彼とちょうど同じくらいの位置に顔がくる。
「さっきの毒は確かに格別だった。お前にも味わあせてやる。そう、極上の―」
 そこで切って彼女はガロンと唇を合わせた。口移しで先ほどの毒がガロンの口内に流し込まれる。
 少し長いくらいのキスを終えて、ネオンはつぶやく、
「死に味だ」
 ここにきてガロンの表情が少し変わる。今までと違う、勝ち誇ったような笑みを見せる。
「これは俺の作った毒だぜ。その俺に耐性がないとでも思っているのか?」
「それはもう私の毒だ。お前のではない。ここで一人で闇を見ながら終焉を迎えるんだな」
 ネオンはガロンの身体の下をくぐって、ホールに戻っていった。
 ガロンは明りを背にし、いよいよ濃くなる街の闇を見ながら、死んだ。