2002.11.09(Sta.)
・この「書壊」をHPで公開するようになってから、幾らかの意見を頂いた。総じてよろしくないとのこと。また、自分の意見とも少なからず合致する点も見れた。
そこで、この「書壊」に綴る内容を一段階とも半段階とも触れ易いものにすることを決めた。具体的に言うと、今までの内面―心の奥底で思ったこと―をつらつらと書き並べてきたのに対し、これからは、対外的に通じるような、一般的な「日記」の在り様に近づくような、内容を書くことにする。
心に思ったことを織り交ぜるのは当然であるが、あまりにもどろどろとして複雑な深層の「本音」は控えていくことにする。何より、そこまでの「本音」を対外的に表す機会というのは今後ないであろうし、必要とされていない。
本よりこの「書壊」については、筆致の練習として思い立ったものである。公衆に著せる文章を書こうとして始めた日記なのだから、煩瑣の批判を買うようでは技量が後退していると思わなければならない。
これからは一人よがりを脱却すべく、邁進していきたい。
・2週間前にひいた風邪が未だに治らない。一時期は回復の兆候が見えたものの、一週間前に再びこじらせてしまった。
これは由々しき事態と受けとめた方がよいだろうか。というのも過去に肺炎を患った時の症状と似ている点があるからだ。一つに、風邪の症状がなかなかおさまらない。二つに、呼吸の際雑音のようなものが混じる気がする。三つに、この風邪の主な症状がせき、たんと、肺がらみ。
以前の肺炎は小学校の頃だったから、病体について正確に覚えているわけでもないし、知識からくる思い込みかもしれない。風邪をひく度に、もしや…と思ってきたが、これまでは1、2晩でピークがおさまり、一週間でほぼ完治というのが通例だった。
しかし今回は違う、心配してもいいくらいに、風邪(特にせき)が止まないのである。普通に居るだけで体力が削られていくようで、いささかマズイ。
もちろん僕だって、ただ手をこまねいているわけじゃない。できるだけ安静を保ち、栄養摂取に心を懸け、うがい手洗いに念を入れ、医薬品も服用してみた。睡眠時間も10時間(寝付くまで時間がかかるが)、心理療法ばりに自己暗示とかも試みた(自分なりに結構期待している)。
っと、これで治れば医者要らずなわけで、実際のところは緩慢に体が蝕まれているようにも、停滞しているようにも見える。
僕が最も心配する点は、実はここで、過去肺炎になったときと共通しているのが、「そんなにしんどいわけじゃない」という点だ。
僕が世間で言われる程肺炎に対して恐怖心を抱かないのは、重病といわれる割にはひどいものではなかったという記憶があるからだ。入院しても一週間点滴うっているだけだった。
余計な知識がついた今では「肺の炎症と喉の炎症にどんな違いがあるのか。たんが出るってことは気管にも、喉と同じく粘膜があるってことで、大事にしてりゃ治るんじゃないか」とか、「同じ肺を詰まらせるのなら、ニコチン・タールの方が治癒が効かない分よっぽど悪いんじゃないか」と、浅学に依る思考回路が、かような理論をはじきだしてしまうのである。
病院行こう。ああ、でも入院はやだな。実験は一回でもレポート出さないと落とされるんだよな。理由言うのもめんどくさいし。と揺れるのであった。
2002.11.16(Sta.)
・今日はわりと充実した日であった。僕にとって充実とは、普段からやりたい、やらなければと思っていることを、できるだけ多くすることである。
今日は、土曜日とあって恒例となりつつある家の掃除を済ませた。録画しておいたテレビ番組(1時間半)を消化した。1分にも満たないが左手で字を書いた。珍しく市街中心部へ出かけ、本・雑誌を購入した。更に古本屋にも足を運び、手頃な文庫本3冊を購入(ポイントが貯まってサービス券も貰った)。カード会員になっている電気店(全く買い物しないが)で会員無料進呈となっていたハローキティのフリースブランケットをget(別にキティが好きなわけではない)。切れていたトイレの洗浄剤をドラッグストアで買った。昼寝した(眠れなかったが)。ボーっとした。料理も作って食べた。今、日記書いている。…
と、こんなことをずるずる書くために重い筆を起こしたわけではなかった。
今日は充実した。思い残すことは3つほどあるが、たくさんのことができてよかった。中でも際立っているのが本・小説を買ったこと。最近は、趣味:読書、の名に恥じるべく態度(ここ4ヶ月、まともに読んだのは雑誌「週間WORLD WEAPON」と「Newton」、教科書くらい)をとっていた僕は、ようやく穴から身を乗り出したわけだ。ワールドウェポン9号を買いに行った書店で、いつもなら背表紙を眺めるだけの文庫本に手を伸ばした。前々から読んでみたいと思っていた作家。
カエサルの「来た!見た!勝った!」ばりに、「来た!見た!買った!」といきたい所だが、本音は何となく。いつもより長い時間陳列棚の間をさまよって、選んだ本が、宮部みゆきの「魔術はささやく」。値段で決めた。
買うんならもっと多く買いたいと思ったが、BOOK OFFで買えば更に安いし、その隣にはドラッグストア。セボン(CMでやっていたトイレ洗浄剤)も買える。というわけでこの書店では「魔術〜」と「WW9」だけ買ってBOOK OFFへ。
で、着いたら早速マンガコーナーへ(ォィ。背表紙を眺めながら店内2周して(読みたいのはなかった)文庫本コーナーへ。どれも読みたいが、結局選んだのは貴志祐介「クリムゾンの迷宮」、夢枕獏・赤川次郎・栗本薫・竹内聖「悪夢」、山田詠美「ぼくは勉強ができない」の3冊。選んだ理由は何となく。
そこには未読の小説・雑誌・資料等多数あるにもかかわらず、新たに4冊の文庫を本棚に供給。でも、まあ、今もってるやつよりは読み易いからいいでしょ。
今回の4冊の中で特に注目なのは、4人の作家が寄せる「悪夢」。4冊の中で一番安いくせに4人もの作家を携えてくるとはニクイやつだ。かなり得した気分。
楽しみなのは夢枕獏。陰陽師・安部清明だ。時代小説というのは読んだことがないので僕の中ではパイオニア(?)。
・↑文体のレベルが変わってる。どこまで崩せばよいのやら。
まあ、いろいろ書いてみることにしよう。
・ちなみに今日思い残す3つのことは、実験レポート、読書、小説創作。重大だ…。
2002.12.24(tue.)
・この程度のことが出来なくて、毎日何を夢見ているのだろうか。実験レポート、後回し後回しでどんどん貯まっていく。やるのはいつも「今」なんだから、今やらないでいつやるつもりなのか。自分の危機感のなさと怠けぐせには呆れるばかりだ。
人間生きてるからには、やりたくないこと、めんどくさいことあるのは当然なわけで、何にせよこなしていかなくてはいけないのだ。その手間と時間のかかるめんどくさい雑務を後回しにするということは、社会に出てからの死活問題になりうる。と僕は踏んでいる。今はまだ、そんなことしていても何とかなる生ぬるい環境にいるから実感は沸かないが(これがヤバイ)、どんな状態、心境でもつきまとうのが雑務なわけだから、例え幸せの絶頂にいても(この場合は苦にならないかもしれないが)やらなければならないことはしなければいけないのである。
「やることやってから好きなことせっしゃいまん!」(まん!?:方言みたい)
母親の諌言が今も身を打つ。
とこのようにしてレポートを前にいつも思いを馳せては易々なへ流れるわけである。ハッキリ言って救いようがない。救いの手も他者からの強制であっては意味がないわけであり、そうさせる気もないのである。だから救いようがないわけであるから、あとは自活(自律)を志すしかない。他ではなく自ら自分を律すればよいのである。
と自活を決意すること幾編だろう、僕は夏目漱石ほど意思が固くなかった。
しかしここで挫折してしまっては、シャレにならない。以前、僕の創った詩の中に「ima」というのがある。一節に「今すぐ始めろ//やれないのなら/今ヤメロ!」「終わらせろ!」とある。自分でつくっておいて何だが恐ろしいことを言ってくれたもんだ。今レポート始めないなら死ね!と言っているのであるこの詩からそこまで伝わるものがあるかというと、そうとも言えないが、当時はそのつもりで見せつけたわけである。まことに恐ろしい。
とりあえず自活(自律)の第一歩として、きちんとした生活サイクルを身につける、のが良いと思われる。自分を律するにはまず生活からだろう。寝る時間を決め、きちんと食事を摂るようなスケジュールを決めれば、他の計画も立て易くなる。それに心身が健康であれば、不健康な時よりも少しは嫌なこともやり易くなる。更に言うなら、ついででそれらができるだろう。
・本当は書きたいことがまだあるんだが(路がズレちゃってるし)、タイムオーバー。中途半端だけどここまで。
2003.5.2(Fri.)
・夏も近づく八十八夜〜。今日は暑かった。一日中半袖で過ごす。
僕のバイト先のコンビニには子供がたくさん居る。店長とマネージャーの子供たちだ。上は中一から下は4歳まで、3男2女のにぎやかな家庭だ。仕事をしていても、小さい子らはよく店に顔をだしてくれる。一番下のしんぺい、じゅんぺい4,5歳兄弟はいつもうるさい。その度に「家で一番強い」じいちゃんが出てきて怒鳴りつけては連れて行く。マネージャー(奥さん)から子供が来たら追い返してね、と言われているのだが、暇な時はついつい相手をしてしまう。小三、六のさやか、ちすず姉妹はいつもなじり合っている。今日は別々に事務の方に降りてきた。いつもお姉ちゃんにバカ扱いされているさやかちゃんは、今日アメを買っていっただけだった。バーコードスキャンをやってみたいと言ったので、一個だけやらせた。持っていたお金がちょうどピッタリだったので、嬉しそうに奥へ引っ込んでいった。それとは逆にちすずちゃんは店に長居した。かねてから懸案だった、スタッフ全員のプロフィールを書いてもらう、という企画に、俺は賛同したにもかかわらず、前回は帰ってしまったのだ。俺は「明日は昼に入ってるからその時」と言ってなんとかあしらった。しかしちすずちゃんは帰らずに居残った。俺に質問をかけてきてはしどろもどろに返答すると、それをマネして遊んだ。彼女は悪女タイプなのだ。今度は少し趣を変えて、クイズをかけてきた。「私のシュミはなんでしょう?」俺がなかなか答えないでいたら、「質問二つまでならいいよ」「ヒントあげようか」「答え言おうか」と結局自分から言った。バイトの人と遊ぶのがシュミだと。バイトの人で遊ぶ、の間違いじゃないか、と思ったが、彼女は牛乳をレンジで温めて奥へ行った。中一の長男は、昼勤してると、部活から帰ってきて挨拶するくらいだ。彼はサッカー部に所属しているが、そんなに強いチームではないようだ。今日は店長が事務の所でカブト虫の寝床を作っていた。俺は店長と数秒のカブト虫談義をした。子供の頃は云々と。店長がそれを作って事務室に置いていった後、長男がそのケージを取りに来た。どうやら彼が世話をするらしい。さなぎのまま死んじゃいそうな気もするが、頑張ってみてくれ。
今日は暑いといっても、夜はまだ肌寒い。俺は自転車をこぎながらアットホームな職場を思い、平穏だなあと思った。
俺は楽して生きてるけど、自分ではちょっとは大変なように思っている。俺の考えることは割と高尚で、カゲでやってることはその辺の人とは違う、と思う心もある。しかし苦労してる割には、世の中平和で、初夏の心地良い夜風に当たってふと、平穏だなと思えるってことは、やっぱり俺は平凡なんだな、と思う。
今日の夜風のように、肌寒いと感じるのは俺が考えなしだからであって、自転車を止めてみれば、何てことない、ちょうどいい感じの肌触りなのである。俺の生活はぬるま湯だ。俺みたいな奴が平穏を感じて、心を満たしていていいんだろうか。
2003.7.18(Fri)
・友人に複数の本を,期限を定めずに貸したことは,手痛い過失であった.本は大切である.渡部昇一の「知的生活の方法」(講談社)によると,本は自分の許に在ることが重要なのである.名著は持っているだけでその人の権威につながるのである.これだけが全てでないにしても(自分の読み誤りがあるかもしれない),少なくとも必要なときに手許にないのは困る.現に今も,「知的生活〜」の本より引用が出来なくて,曖昧な記憶に頼るしかなかったのである.
また,大量に(といっても十数冊だが)貸したことが最も危険である.友人の不整頓を強調するわけではないのだが,彼が少し長い期間を経て,それらの本を読み終えて返しに来たとき,果たして全ての本が揃っているのか,甚だ不安である.自分は中三の頃,学校に漫画を持ってきて,貸して回し読みさせたことがあった.結果卒業時学校側から返してもらった(授業中に読んでるのを先生に見つかって,取り上げられた奴がいる)のを除いても,九冊余りが紛失してしまった.当然である.この敗因は複数の本を回し読みさせた(そもそも学校にマンガを持ち込むこと自体間違っているが)ことであるが,一人でもありえるだろう.この例でも,自分の読んでいる本が誰のものなのかわかっている(クラス外に流出していなければ)にもかかわらず,返せなかった人達もいるわけである(紛失のメカニズムは本来こんな単純なものではなく,もっと複雑であろうが).
もちろん他人ばかり悪いのではない.自分が本に対しての配意を欠くところは他にも,貸本リストを付けなかったことである.きっと自分がその存在を忘れてしまう本があるはずだ.借りた側でも,読んでない本で見失ったものがあれば,まず記憶に上らないだろう.
事実今も,その友人とは別の人に本を貸しているのだが,一年半以上経った今でも返ってくる気配はない.自分の記憶が正しければ「最強 孫子の兵法」と「わがままな偉人達」だったと憶える.特に後者は絶版した角川mini文庫の一冊である,もう普通の書店には置いてないだろう.その人との関係をここで書くのは何かと億劫であるから,なかなか会えないので返してもらう機会が少ないのと,僕が返してくれと言う勇気がないからだ,と簡単に説明しておく.(しかし借りたものを忘れるような人ではないと思っている)
さて,いろいろ言ってきたが,自分の考え得る最善手だては,本を一冊ずつ貸すことである.その本を返してもらったらまた一冊所望する本を貸す,といった具合に.そうすれば本が返ってくる割合は確実に増すだろうし,借りた当人も複数あるよりも一冊だけの方が確実に本を読めるというわけだ.
・てなわけでこれを読んだ友人君は,これに賛同するなら,即刻,今読んでいる本以外を返却されたし.